このサイトではアフィリエイト広告を利用しています

不登校のきっかけは私-その後①|再び学校へ

みなさんはコロナで休校になっている間、どうやって過ごしていましたか?
仕事に行きたくてもいけない、急に訪れたいつまで続くかわからない休み…。

でもそれが、学校へ行きたくない子にとっては安住の毎日でした

ハリーは休校明け、5年生の5月から再び学校へ行きます。

スムーズに学校へ行けたのかどうか、最後までご覧ください。

登場人物は…
ままこ/2児の母

悩みはハリーの味覚過敏
少し発達障害を疑っている

ハリー/当時小学4年

味覚過敏のびんかんっ子
字を書くのが好きじゃない

S先生/ハリーの担任

自分を意外性のある先生だと豪語する
目立ちたがり
子供に対して厳しすぎる

衝撃の一言へ反撃

休校になる前にハリーが保健室登校をしていたのは2週間程度でしたが、その間にS先生からこんな電話がありました。
前後の話はうろ覚えなのですが、この部分だけははっきりと覚えています。

担任S
担任S

子供の言うことを真に受けて人のせいにして学校を休んで、逃げてるだけだろう

(え、何言ってんの?)

逃げてるって言うけど、大人は職場が合わなかったら転職したり、お休みを取ったりできるのに子供は休んだらダメなんて思いません!
(心を守るために)逃げることは必要なことです!!!

S先生が言う「人のせいにして」というのは、私が友人から聞き出した教室での様子(子供談)を教頭先生に話したことを指していたのだと思います。

ハリーは学校での様子を全く(怖いという気持ちからか、自閉からか)教えてくれなかったので、友人の子が話していた内容を

『見ていないからわからないけど、こんなことを聞いたので授業の様子や給食時の様子を見回りに行ってほしいです』

と伝えたのです。

以前にインクルーシブ担当のM先生から聞いていたこともあって、S先生が100%正しいことを言っているとは思えなくなっていましたし、今でも他のお母さんたちから「こんなことがあった」なんて話を聞くので、先生としての資質はない人なんだろうなと思います。

長引く休校、でも心穏やかに

2月末の休校に加え、非常事態宣言が出た後はジョリー(旦那)も在宅ワークができるような職種ではなかったので毎日一緒に過ごす日々。
学校で先生たちは混乱していたのだと思いますが、子供たちは突如訪れた休みに毎日喜んでいました。

いつまで続くのか全く先が見えない状態でしたが、ハリーは安心して過ごしているようでした。

突如訪れた休校に

最初の休校は2週間だけの予定でしたが、「学校へ行かなくていい」「みんながお休み」ということに安心したのでしょう。

休みが延長するたびに私もハリーも喜びました。

またお休みだって!

ハリー
ハリー

やった!!

早い春休みの宿題ということで課題は出ていたものの、出すのかどうかもわからないもの。
クラス毎に作られた課題は他のクラスに比べてやや多かったようですが、それでも元々学校が好きでないハリーにとっては天国でした。

今でこそわかりますが、当初はどれくらい恐れるものなのかわからずに家に引きこもっていたのですが、全然苦にならず。
この頃からハリーの苦手な野菜の入っている「味噌汁はほぼ毎日摂る」を始めました。
親が先に感染して隔離となったら、子供たちが何とか料理できるようにと野菜はカットして冷凍するようになったのですが…。

でもハリーはめんどくさがりでやってくれる可能性が低くて困ったけどね

暇を持て余し…運動をするために

することがなくて、無料で提供されているポケモンの塗り絵をしてみたり、スマホのタイムラプスで動画を撮って遊んだりしていたのですが、とにかくハリーは運動が嫌い。

後々わかるのですが、この頃から動くことをあまりしなくなった気が…

そこで小学生になってから行って気に入ったキッザニアをまねて「キッザニァ」を遠く離れて過ごす妹家族も巻き込んで遊び始めました。
単純にお仕事に対してお金(サイトから印刷して作ったもの)を支払うだけでは面白くないと思い、写真のような試験問題も作って給料アップも取り入れました。

掃除機の操作免許証の試験問題
ハリー
ハリー

めんどくさい!やらない!!

ただ、ハリーは手書きとか気分が乗らないと全くしなくて、この試験を受けてくれたのはタイガと姪っ子だけでした。

他には、稼いだお金で

  • おやつを三階まで買いに行く
  • おやつ作りイベント(クレープやパフェ)
  • 手づくりおサイフコンテスト
  • カットモデル募集(散髪)

など工夫を凝らしてなんとか毎日を過ごしていました。

感染者が増えることは嫌な思い出だったけど、休校が続くことはわが家にとってはポジティブにとらえていました。

避けられない修了式

休みが延長されたものの、学年末前の休校だったので一部の荷物は置いたまま。
とくにハリーはみんなより早くから教室には行っていなかったので、嫌々ながらも教室まで行く必要がありました。

ハリーの度胸に驚く

分散で修了前日と修了式に登校することになったハリー。
いきなり教室に行くのをためらい、仕方なく一旦保健室へ登校することを伝えました。

ハリー
ハリー

ただいまー!

おかえり
どうだった?大丈夫?

帰ってきたハリーの顔はスッキリした様子。
よくよく聞き出してみると、クラスを半分に分けて教室に入ったので”運よく”なのか、”配慮”があったのかはわかりませんでしたが、S先生とは違う先生が担当してくれたようで、しれっと教室に入れたようです。

たくさん休んだ(保健室登校)から行けないかと思いましたが、その辺の妙な度胸があってすごいなと思いました。

それだけ先生のことだけが嫌だったんだな

ここから始業式が始まるまでの2週間ほどは再び夢のような時間を過ごしました。

進級し、そして学校へ

コロナは収束するどころかどんどん拡大の傾向で、少しずつ延長される休校に喜んでいました。

学校へプリントをもらいに行ったりするのは子供でなく親だったのが、ハリーにとってはじっくりと心を休める時間になっていたのかもしれません。

担任の先生にあいさつ

何度も緊急事態宣言が延長され、同時に学校もお休み続き。
新しい教科書をもらいに行ったのは四月の中旬で、その時に初めて担任の先生に会いました。

先生、ご存知かもしれませんが、不登校だったので…

担任になったのは前年に学年の音楽を担当していた先生で、ハリーが全く知らない先生ではなかったので良かったかなと思いました。
もちろん、同じ学年にいたのでS先生のことも知っていてなんとなくの雰囲気は察知していたのではないかなと思いました。

給食のことに関しても、その先生は実は野菜が大嫌い!

後で聞いたことですが、『できれば食べたくない』と仰っていたのでハリーの気持ちは分かると言ってくれました。

分散登校を経て…学校へ

教科書をもらった後の数週間も、緊急事態宣言により休校が続いていたためハリーはのんびり心を休養できたようで、学校へ行くことができるようになりました。

この時は”みんなが徐々に学校へ戻るための準備”で「みんな分散で少しの時間だけ」だったのが幸いしたように思います。
休業中の課題も、ほとんどないと言っていい状態くらい少なく、たくさんのことをやらないといけないというプレッシャーもなく過ごせたので、学校と言う場所が嫌にならずに済んだのだと思います。

休校中に勉強をもっと…とも考えましたが、日常の中から学ぶことも大切だと思って特にたくさんの勉強をすることもなく過ごしました

まとめ|周りの環境が再登校への近道に

普通に不登校していただけなら学校へ行くことは難しかったかもしれません。
しかしみんな同じように「久しぶり」に学校へ行くことになり、短時間ですむことがハリーの心の負担を和らげたのかもしれません。

不登校の時に後押しするタイミングや、そっとしておくタイミングがその子によって違うと思います

担任の先生が変わったこと(もちろん今後一切担任を持ってほしくない旨は伝えましたが)だけで、周りの子たちが日常生活を送っていたなら、違った結果だったのかなぁ…と今でも思います。

ともかく、無理をせずにその子に合った方法で学校へ通ったり学んだりできる道がもっと増えるといいなと思いました。


応援してもらえると嬉しいです

人気ブログランキングへ
人気ブログランキング

にほんブログ村 にほんブログ村へ
にほんブログ村


最後まで読んでいただきありがとうございました。